人生の節目にキャリアコンサルタント

無功徳とキャリアコンサルティング

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無功徳とキャリアコンサルティング

無功徳 (むくどく) 

『武帝問う「朕、即位以来、寺を造り、経を写し、僧を渡すこと挙げて記すべからず。何の功徳か有る」 達磨応えて曰く「無功徳」と』 

昔々、インドから中国に禅を伝えた達磨大師と梁の武帝の問答です。
武帝も仏心天子と言われるほど、熱心に仏教に帰依していました。寺を建立したり、多くの経典を写し、涅槃経を講義したり、僧侶になる人を奨励してきました。そこでインドから来た高僧に「これらの私の行いは、どのような功徳があるのか」と聞いたのでしょう。
それに対して達磨大師の答えは明確でした、「ご利益はないよ」。 

どこか爽快で、覚えやすい禅語のひとつです。深い意味はあるのだと思いますが、ここではキャリアコンサルタントに当てはめて考えてみたいと思います。 

私は、キャリアコンサルタントとして面談をしていて「今日はいい対応ができた」とか「これであの人の転職もうまくいくだろう」など初めて12年の頃には思うことがありました。しかし、勉強しているときには、キャリアは相談者自身が判断し意思決定していくものと教わっていました。大切なことを忘れ、精一杯、介入してしまうお節介な私がいました。

人は簡単に納得したり、意のままに行動してくれません。正に主人公は相談者自身であり、当然ですが私の人生でなく、相談者の人生なのです。しかし、感謝されたり、褒められたりしている内に「これでどうだ」「こいいアドバイスができた」と相談者の意思とは無関係に自分が主役になってしまう時期がありました。 

あるとき、ふと「無功徳」の一語を思い出しました。自分が熱中し過ぎたとき程、その過ぎた面談から離れて「今ここ」にリセットを試みます。ピシャリと自分自身に突き付けて、客観的に振り返ろうとします。そうすると「今日は出過ぎたことを言ってしまった」「何か言いたそうにしていたけれど私が話し過ぎていた」と気づき、次回は傾聴に徹するよう注意を払うのです。 

私にとって「無功徳」は自分の思い上がりを戒め、主体を相談者に戻すことができる、ありがたいおまじないの言葉となりました。

皆さんは、いかがでしょうか。