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放下著とは何を捨て切るのか

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放下著とは何を捨て切るのか

放下著(ほうげじゃく)

ある修行僧が和尚さんに「自分は長い修行の甲斐あって、一切の煩悩を捨て去ることができました。この先はどう修行したらいいのでしょう。」和尚さん応えて曰く、「放下著(すべてを投げ捨てよ)」

カウンセリングでも相談に来られた方のお話しを一生懸命に聴きます。そのときに、「寄り添う」「伴走者」として聴くことを学びます。しかし、自分のすべてを投げ捨てて聴くことが難しいのです。
産業カウンセラーの養成講座で傾聴を体験学習していた頃、「どうして助言やアドバイスをしてはいけないのか」「今までは課題を解決してこそ評価されたのに・・」「聴くだけで本当に相談者は満足するのか」と浅学の私は疑問だらけでした。

3カ月程悩んでいましたが、二つのことで前進することができました。ある1つの経験を思い出したのです。
私が労働組合の役員をしていたときに、社員が上司の対応に怒り、突然やってきました。最初からすごい剣幕で私が対応することになりました。途中から泣いて話す組合員を前に聴くだけで精一杯でした。何故こんなにも怒るのか、何が悔しくてこんなに涙を流すのか、その気持ちを分かりたいと思って一時間ほどうなずきながら、ただ聴いていました。すると突然、その方がニッコリ笑ったのです。そして「聞いていただいてありがとうございました。スッキリしました。」と言われたのです。その後、何故、お礼を言われたのかまったく分かりませんでした。気の利いたアドバイスを一つもできなかったのに。ただ聴いていただけだったのに。数年後、その方が結婚を機に退職されるときに「あのときは聞いてくださってありがとうございました。誰も私の気持ちを分かってもらえないかと思っていたけれど、本当にうれしかった。」と挨拶に来てくださいました。

この体験を思い出したときに、何かが吹っ切れました。応えよう、いいアドバイスをしようという私の思いを捨てて、時間がかかっても、その人の話しを気持ちを全力で分かろうとしてみようと。

最初の修行僧と和尚さんの話しには続きがあります。修行僧「すでに何もかも捨て切って無一物です。これ以上捨てるものはありません。」和尚さんが一言「捨て去るものがなければ、その無一物を担いで去れ」ここで修行僧は本当に悟りました・・・どうして心が開けたのかは公案に書いていません。あなたは何に気づいたからだと思いますか?・・それも捨て去ってみましょう。