婆子焼庵と「今、ここ」
禅の公案に「婆子焼案(ばすしょうあん)」というお話しがあります。
あるお婆さんが、ひとりの修行僧を見込んで草案や食事を与え、20年間世話してきました。
そろそろある境地に達したかと、試してみることにしました。若い娘さんに言い含めて
身の回りの世話をした後で抱きつき言い寄ってもらいました。僧は動ぜず、曰く
「枯木寒巌に倚って三冬暖気なし(冬の巌の枯れ木のように私の心は少しも動じない)」と
女性の誘惑を断ちました。
その成り行きを娘から聞いたお婆さんは「こんな俗物を20年も世話してきたなんて!」と
猛烈に怒ってお坊さんを庵から追い出し、草案を焼いてしまった、というお話しです。
あなたは、どう答えればよかったと思いますか。
また、何故お婆さんは、こんなに怒ったのでしょう。
私は、この公案を中学生の頃、尾関宗園さんの本で読み、まったく理解できませんでした。
その後、何度も挑戦しましたが、しっくりきませんでした。これが私の答えだな、と思える
ようになったのは、カウンセリングでゲシュタルト・セラピーを何度か体験した後でした。
「今、ここ」を重視することが、目を開くきっかけになりました。
動じない心がいいのか、過去や物に執着しない心があるのか、私には言い切れませんが、
何となく腑に落ちるところまで来ているように思うのです。
「今、ここ」に心を置き続けることは、私にはまだできませんが、そうしようと縛る
気持ちは捨てられるようになってきました。禅でもカウンセリングでも「今、ここ」を
大切にしていきたいと心がけています。
最近のコメント